はじめに    福田知弘氏による「建築と都市のブログ」を新連載!併せて、フォーラムエイト VRサポートグループが福田氏の紹介する都市や建築の3Dデジタルシティ・モデリングにチャレンジします。どうぞ、お楽しみください。
Vol.1 
大阪:「水の都」を再び目指して
  大阪大学大学院准教授 福田 知弘
  プロフィール    1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授,博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design R esearch In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ 理事など。著書に、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、はじめての環境デザイン学(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/

水都再生を目指して

大阪はかつて、「東洋のベニス」「水の都」と謳われた。そして今世紀に入って、21世紀型の水都を目指し、民の力を中心に再生の動きを加速させている。ここで水都再生とは、新たな船着場や都市再開発といったハード面での整備に加えて、市民や観光客が水に親しめるような仕組みづくりといったソフト面での整備を指している。大阪旅めがねでも旅人たちに案内していた、中之島を歩いてみよう【図1】。


中之島のレトロ建築の再生

日本銀行大阪支店・旧館は、辰野金吾により、1903年(明治36年)に完成した。左右対称形を採用し、クラッシックにデザインされている。この建物は、約40年前(1980~82年)に老朽化のため大修復された。工事の際には市民により「建物を残してほしい」という声が強くあり、オリジナル形状はできるだけ残されている【図2】。

日銀の前には、記念ポストがある。これは、1871年(明治4年)にわが国最初の郵便制度が設けられた時、大阪ではこの場所に駅逓司大阪郵便役所が開設された由縁より。

大阪府立中之島図書館は、住友家の寄付で作られ、1904年に開館した【図3】。設計者である野口孫市は、住友営繕(現・日建設計)の基礎を築いた。国の重要文化財でありながら、現役の図書館は珍しい。中央のドームには八聖殿になぞらえて、菅原道真、孔子、ソクラテス、アリストテレス、シェークスピア、カント、ゲーテ、ダーウィンの八哲の名が記されている。

大阪市中央公会堂。建設資金は、北浜の株式仲買商であった岩本栄之助氏からの寄付による。1918年完成。1980年代、日銀大阪支店と同様、老朽化や設備面の問題から取壊しが検討されたが、保存運動により、永久保存が決定された。免震構造とした保存再生工事の事業費は、岩本が投じた建設資金を上回るといわれた。夜景が美しい【図4】。

建物ではないが、中之島公園もレトロ。1891年(明治24年)、大阪で最初に完成した公園。2009年に再整備工事が完了、中之島で有名なバラ園が、船からも眺められるように工夫された。

【図1】大阪旅めがね 中之島コース
【図2】日本銀行大阪支店
【図3】大阪府立中之島図書館
【図4】大阪市中央公会堂

ダイビル本館の再生

ダイビル本館は、賃貸オフィスビルの先駆けとして、1925年に完成。完成2年前に発生した関東大震災の教訓を生かし、大阪では最初に耐震構造を採用した。

2013年に竣工した新しいビルは、建築主ダイビル(株)のアイデンティティとしての外観保全という強い想いに、最新の建築と設備の技術がうまく融合したプロジェクトであり、CASBEE大阪 OF THE YEAR 2013 最優秀賞を受賞されている(CASBEE Sランク)。

低層部は、大正時代の旧ビルの意匠を、実際に使われていたレンガ・石材等を再利用しつつ再現を試みており(中央玄関に飾られた「鷲と少女の像」、ギリシャ風彫刻が施された1階正面の円柱・角柱(播州竜山石を使用)も)、中之島の歴史的景観の継承を目指している【図5】。

【図5】ダイビル本館

高層部は石材フィンを外付けマリオンとしたカーテンウォールとして、日射をコントロールしている。外装には、Low-Eガラスを全面採用しており、特に西面はエアフローウィンドウとして空調負荷を抑制している。

外構には、都心の貴重な緑となり四季折々の表情を醸し出す中之島四季の丘が整備されている。また、ビルの冷暖房熱源として使用する全ての冷温水は、河川水を利用した地域冷暖房プラントから供給されている。


淀屋橋

淀屋橋の南西のたもとに淀屋の碑がある【図6】。淀屋とは、江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商である。江戸時代、米が経済の中心的存在だったころ、淀屋は、全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都への発展に大きく貢献した。淀屋はまた、中之島を開拓して蔵屋敷を誘致したり、材木、青物市場、雑魚場市など、様々なビジネスで成功した。

しかしながら、「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」という名目で、江戸幕府から「闕所処分(全財産を没収される刑罰)」を受けてしまう。淀屋は滅亡か、と思われたが、元番頭が倉吉で暖簾わけをしてもらい、倉吉淀屋として立ち直る。その後、大阪に復帰して、淀屋を復興させた。幕末には殆どの財産を朝廷に献上して、倒幕に貢献した。

淀屋橋は、淀屋自身が拓いた中之島に渡るために、自費で架けた橋。現在の橋は、パリのセーヌ川を参考に景観に配慮して1924年に架けられた。コンクリートの橋としては珍しく国の重要文化財に指定されている【図7】。

【図6】淀屋の碑 【図7】淀屋橋

北浜テラス

北浜テラスは、日本ではじめて川床の常設化を実現したプロジェクト【図8】。大阪の新たな風物詩として水辺に賑わいをもたらすことを目的に、北浜地域のテナントや建物オーナー、NPO、住民などからなる北浜水辺協議会が実施している。行政、NPO、店舗という3者が水都再生に向けたコンセプトを共有し、行政=規制緩和、NPO=実現スキーム立案と川床設計、店舗=川床代投資という役割を担い、実現に向けて最大限に努力したコラボレーションの結晶である。

河川法により、河川区域での営業活動を通常はできない。2000年代半ば、水辺の心地良さを知り尽くしたNPO法人「水辺のまち再生プロジェクト」と「もうひとつの旅クラブ」などのメンバーが集まり、水辺の活性化を目指して企画。そして提案を続けていく内に、川床の意義を評価した水都大阪2009実行委員会が主催者に参画することになった。そして2008年10月の1ヶ月間限定の仮設ながら、河川区域の占用許可を大阪府が認可した。

【図8】北浜テラス
この状況を受けて、投資回収の見込みが立ちにくいにも関わらず、3つの店舗が川床設置費用の負担を決意。腰の高さまであった窓を掃き出し窓にするなどして、ビルとテラスを結びつけた。

川床が設置された2008年10月の1ヶ月、川床は常に満席状態であった。当時の知事も絶賛した。この成功を受け、2009年7月には北浜水辺協議会が設立され、さらに社会実験を繰り返すことで、「地域再生の目的」という河川法の規制緩和の適用を受け、常設化となった。

テラスは正に水都大阪を満喫できるほっこり空間。目の前には中之島公園。船がやってくれば、乗船客と手を振り合う。大阪なのにヴェネチアやアムステルダムにいるみたい、ではなく、これぞ大阪!


ご来光カフェ

中之島では、生駒山から昇るご来光を望めることをご存知だろうか?日の出の位置は刻々と変化するため、ご来光は9月のうちや10月も半ばを過ぎるとビルの陰に隠れてしまうのだが、10月1日朝6時頃には生駒山から顔を出して高層ビルに遮られることもなく、土佐堀川から眺めることができる。ビルや土木構造物などの人工物が集積した大阪の都心部において、ご来光を望める貴重な眺望景観である。

もうひとつの旅クラブは、「ご来光カフェ」を中之島の対岸、大阪水上バス淀屋橋港の桟橋で企画・運営している(協力:大阪水上バス株式会社)。これは、市民共有の資産である「中之島の水辺」を舞台に「都心の自然」という魅力の発掘を行い、水辺という公共的空間の過ごし方や使い方を多様な側面から提案し、各人それぞれの「中之島時間」を発見していただくことで、ひとりでも多くの方に中之島の豊かな普段使いをしていただくことを目的としている【図9-11】。

【図9,10】ご来光カフェ

ご来光カフェは2006年からはじまり、年々、工夫を凝らしながら、2020年に15年目を迎えた。雲ひとつなくご来光が完璧に望めた日、赤く染まる雲【図12】、ご来光が望めそうだったのに雲に隠れてしまった日、今日はもう会えないと諦めて帰ろうとしたその瞬間に雲間から射し込んだ日、薄明光線がとても美しかった日、自然のいたずらとのお付き合いである。

ご来光カフェでは、大阪水上バス淀屋橋港桟橋にテーブル・椅子を設置してご来光を眺めるカフェを営業し、飲み物、軽食を提供する【図13】。桟橋での食事に加えて、水都号・アクアminiによる水上クルーズを2007年から2018年まで実施してきた。さらに2015年にご来光カフェ10年目記念として開始したスペシャルご来光クルーズを2018年まで実施(5:50出港)、その他の時間帯は6:30より随時運航してきた【図14】。

【図11】ご来光カフェ 学生たちが来てくれた
【図12】朝焼けに染まる雲
【図13】本日のご来光スタッフ 【図14】ご来光クルーズ 淀屋橋をくぐる

広報活動は継続的に行っており、専用サイトでの参加呼びかけに加えて、営業日誌を公開している。カフェには、ご来光カフェに対する来訪者の声を集めるため、メッセージボードを設置している【図15】。継続的な開催のための賛同者・ボランティアスタッフを随時募集する。

【図15】メッセージボード

ある場所にある時刻までにたどり着ける全経路探索

夏の終わる頃、出会う人々にご来光カフェのフライヤーを手渡しする。すると、「うちからは始発に乗っても間に合わない」と返されてしまい、無理強いするものではないが、残念であった。

そこで、10月1日、淀屋橋のご来光を眺めることのできる公共交通の経路をすべてあげてみようと考えた。日の出の時刻は、2020年は5時53分だが、生駒山の向こうから上ってくるため6時とする。このように、ある駅(淀屋橋駅)に、ある時刻(6時)までに到着できる経路をすべて表示させるサービスは、どうもなさそうである。そこで、各路線の出発駅を入力して、しらみつぶしに経路探索してマップ化した【図16】。主な経路を以下に示す。

  • 神戸方面:JR神戸駅4:58発、淀屋橋5:47着
  • 京都方面:JR京都駅5:02発、淀屋橋5:58着
  • 奈良方面:JR奈良駅4:50発、淀屋橋5:57着
  • 三田方面:JR新三田駅4:54発、淀屋橋5:58着
  • 京阪本線:淀駅5:00発、淀屋橋5:46着
  • 学研都市線:四条畷駅4;53発、淀屋橋5;28着。忍ケ丘駅
    以遠は、淀屋橋6:01着となりギリギリ
  • 河内長野方面:千代田駅5:06発、淀屋橋5:57着
  • 近鉄南大阪線:古市5:00発、淀屋橋5:57着
  • 阪和方面:日根野駅4:35発、淀屋橋5:57着
  • その他、高速バスを使えば、広島、鳥取、東京からも間に合う。
【図16】淀屋橋に朝6時に到着できる路線図
実はここ数年、毎年調べているが、時刻表は刻々と変わっており、都度、アップデートする必要があることを実感した。



3Dデジタルシティ・大阪 by UC-win/Road
「水都・大阪」の3Dデジタルシティ・モデリングにチャレンジ
UC-win/Roadによる3次元VR(バーチャルリアリティ)モデルを作成したものです。フォーラムエイト大阪支社事務所のあるOAPタワー周辺に大川、 銀橋などが配置された水辺空間を作成しました。大阪環状線や交差点に交通を設定、大阪城モデルの配置、花火を可動モデルで実行させてみました。

 
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(Up&Coming '09 秋の号掲載)
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