• 前自由民主党副総裁
    弁護士

    高村 正彦(こうむら まさひこ)

  • 前自由民主党副総裁で、経済企画庁長官や外務大臣、法務大臣、防衛大臣などの要職を歴任された高村正彦さん。この度、フォーラムエイトの特別顧問に就任いただくことになったのを機に、連続インタビューを実施。今号より「高村正彦の政治外交講座」と題し、連載してまいります。
    複数回にわたるインタビューを通じ、氏の弁護士あるいは政治家としての多様かつ貴重な経験に基づくお話を誌上にて再現。その政治や外交に関わる独自の視点にも迫っていくことを目指します。
    その連載第1弾では、高村さんの政治家としての原点となる、幼少時から学生時代、弁護士としての活動などを振り返っていただきます。

「人類の幸せの総量を増やす」をモットーに依頼者第一貫く


  • 高村正彦氏プロフィール

    昭和17年生まれ。山口県出身。中央大学法学部を卒業後、弁護士として活躍。55年の衆院選で初当選し、経済企画庁長官、外相や法相、防衛相を歴任。平成24年の第二次安倍内閣誕生時から自民党副総裁を務め、集団的自衛権の限定行使容認や憲法改正等で党内議論を主導した政策通として知られている。29年に国会議員を引退されたが、30年10月までの党副総裁の要職につかれ、その通産在任日数は歴代第一位。現在は、自民党憲法改正推進本部の最高顧問として奔走されている。

  • 著書

    私の履歴書 振り子を真ん中に

    著 高村正彦/発行 日本経済新聞出版社

    現実的に合理的に何が国益かを考える。外交・安全保障で活躍してきた自民党副総裁が、自らの原点から、37年余の議員生活まで回顧。生々しい証言の数々から、政治の実相が現れる。

「物心が付いてから大学を卒業するころまで、私はずっと『努力をするという、人間に最も大切な能力が欠如しているのではないか』という劣等感を持ち続けていました」それがこの間、自らそれぞれ「天職」と形容する、弁護士として12年間、政治家として38年間にわたって活動。いずれも日々努力せざるを得ない仕事だったことで、自分なりに「どうやったら努力できるのだろう」と常に模索。結果として、それなりの努力をすることとなり、それなりの成果を残すことに繋がってきたのでは。高村正彦さんはその広く知られた実績を成し遂げてきた背後で、自らの内面的な課題と向き合いながら、試行錯誤してきた一端に触れます。


弁護士を目指すまで

高村さんは、小学校入学当初の自身を「全く勉強しない、努力しない子だった」と振り返ります。3月15日と早生まれだったこともあり、他の子らと比べ体が小さく、文字の読み書きも苦手。兄3人・妹1人の兄妹が皆優秀だったのと対照的に、小学校入学時には平仮名の「の」しか読めないほど。その後も授業についていけず、1学期の終わりには母が学校へ呼び出される事態に。夏休み中の強制的な勉強もあり、授業についていけないということはなくなったものの、小学校の間に優等生になったことはなかった、といいます。

当時は相撲やプロレスごっこ、野球などに熱中。小柄ながら、負けず嫌いで敢闘精神が旺盛でした。ただ、5年生の時に左目を負傷。以来、実質的に左目を使えなくなり、急きょ競技者としてではなく相撲評論家になろうと着想。そのための勉強にと新聞のスクラップを始めたが、1日で挫折。家では「三日坊主ならぬ一日坊主」と揶揄されたそうです。

中学時代、抜きんでて頭の良い粒良邦彦氏と口喧嘩。高村さんが完膚なきまでに言い負かしたことで、粒良氏が「お前みたいな口だけ達者なやつは弁護士にでもなるがいい」と捨て台詞。高村さんは当時、弁護士の仕事がどんなものかも知らないまま、弁護士になろうと決意。その後、ぶれることなく、その思いを貫いてきました。


司法試験と仲間

弁護士を目指すなら、司法試験に数多くの合格者を輩出しているからと、父の母校でもある中央大学に入学。その後、司法試験の勉強に専念するつもりが、少林寺拳法部に入り、気づけば4年生の夏合宿にまで参加。その頃、司法試験を受けるなら環境を整えなければという、同じクラスの福田晧一氏の勧誘に従い試験を受けて、やはり同級の本島信氏も所属する正法会研究室に入会。幼少時からの、机に向かってじっと座っていられない癖を何とか抑えつつ、福田氏ら仲間の支援もあり、そこでは「私なりに努力して」勉強。卒業年5月の択一試験では前述の同級3人のうち高村さんと福田氏が合格、しかし本島氏は不合格に。すると本島氏が「十分な準備ができていないだろう。自分は予想問題のノートを作ってあるから」と個人的に高村さんをサポート。おかげでその後の試験にも合格。その後合格した本島氏は高村さんが国会議員になった際、維持できなくなった事務所を継承。正法会時代に一貫して支援してくれた福田氏と併せ、その二人には「足を向けて眠れない」といいます。


「依頼者の幸せのため」を実践

学生時代、デール・カーネギーの著書に引用されていた「人類の幸せの総量を増やす」という考え方に深く感動。これは依頼者の幸せを重視する弁護士としてのアプローチと重なるもので、今日なお、自らのモットーと位置づけます。

そのような氏のスタンスを象徴する出来事の一つが、有名モデルのセミヌード写真が無断で避妊具の宣伝に使われた事件。当時まだ確立されていなかった肖像権に関わるもので、依頼を受け、東京地裁に写真使用の差し止めを求める仮処分を申請。判事からこのまま争えば画期的な判例が出ることになろうが、相手から好条件の和解の申し出が出ている旨告げられ、当然のこととして功名心より依頼者の利益を選択して早期に和解。ただその後、裁判官により事件の和解に至る詳細は判例時報のリーディングケースとして紹介されました。

高村さんは先般、かつて自身が在籍した中央大学・正法会の合格者祝賀会に招待されて参加。挨拶をとの求めに応じ、「弁護士になる人は、公正なルールの基で、ともかく依頼者のためということを第一に」という、これまで培ってきた自らの信念を語りました。

弁護士の仕事は、手を抜けば依頼者が損をし、換言すれば依頼者の幸せが減ってしまう。だからこそ、そうならないためにはどうすべきか。天職と自負する弁護士として、真摯にその職務と対峙する中で、同氏は上記の考え方に到達してきたといいます。

「努力する能力のない私でも、努力せざるを得ないような仕事に就けたのは、たいへん有り難いことだと思っています」




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(Up&Coming '20 秋の号掲載)

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